2008年5月3日土曜日

偶然から生まれた10の大発明


現代に至るまでに、人類は必要に応じて、ありとあらゆる種類の発明をしてきました。
もちろん、良いものや便利なものを創ろうと取り組んだ結果生まれたものが多いですが、後世に残る大発明や大発見の中には、偶然に「あら、出来ちゃった」というものあります。
偶発的とは言え、現代の私たちの生活に浸透した「偶然に出来ちゃった10品」をご紹介しましょう。

1. ペニシリン
世界初の抗生物質であるペニシリン。
生物学者のフレミングは、ブドウ球菌と呼ばれるバクテリアを研究していました。1928年、彼が休暇から帰ってくると、うっかり忘れたバクテリアの乗った試験皿の一つに菌が繁殖していることに気づきました。すかさず彼はその皿ごと捨てたわけですが、そこにあったブドウ球菌が繁殖した菌によって成長できないことに気づいたのです。
その発見に彼はたいした期待をしておらず、翌年そのことを発表したときも、あまり注目されませんでした。その後1945年になってから他の化学者たちに研究され、ペニシリンが製造できることがわかったのです。抗生物質の登場は、バクテリア感染に関するそれまでの治療法を完全に変えるものとなりました。

2. 電子レンジ
アメリカのエンジニアであり発明家のパーシー・レバロン・スペンサー氏は、マグネトロンの製造をしていました。マグネトロンと言えば、当時はレーダーに欠かせないマイクロ波のシグナルを作り出すもので、戦時中には非常に重要な発明であったわけですが、今のように料理に使われるようなったきっかけは偶然だったそうです。
作動中のマグネトロンの隣にいたスペンサー氏は、ポケットにの中にあったチョコレートが溶けていることに気づきました。鋭い彼はそれがマイクロ波の影響であると察し、ポップコーンや他のもので次々と実験を行ったそうです。当然我々がいたずらでやるように、卵も実験に使用し、そして爆発させたようです。初のオーブンレンジは340kgもあり、冷蔵庫くらいの大きさだったようです。

3. アイスクリームコーン
この話はたった一回の偶然が、世界へ影響していったというエピソードです。
1904年より以前は、アイスクリームは食器の上に乗っているものでした。その年のミズーリ州セント・ルイスで行われたワールド・フェアで、2つの全く関係のなさそうな材料が偶然出会ったのです。
特に暑かったその年のワールド・フェアで、アイスクリームの売り上げは上々で、すぐに食器が足りなくなってしまいました。ちょうど横でザラビア(ウェハースを薄くしたようなエジプトの菓子)を売っていた屋台は、売れ行きがよくありませんでした。そこでオーナーはアイスクリームを上に置けるコーン型の薄いワッフルをロールして作ることを申し出たのです。こうしてアイスクリーム・コーンが生まれ、今ではお皿より良く使われるおなじみのアイスクリームが生まれました。

4. シャンパン
ドン・ピエール・ペリニヨン修道士がシャンパンを発明したことは有名な話ですが、17世紀まで泡の立つワインは造ろうとはしていませんでした。むしろシャンパンに泡が混ざらないように何年もの間、工夫を続けていました。当時は泡が混じるとワインのレベルが低いとされていたのです。
ペリニヨン修道士の最初の願いはフランス王室に白ワインを届けることでした。シャンパーニュ地方では黒グレープのほうが育ちやすいため、彼は黒グレープから白いジュースを搾り取る方法を考案しました。ただしシャンパーニュ地方では割合気温が低いためワインの発酵に2シーズン以上かかるため、2年目を過ぎたワインには炭酸ガスが発生して泡だらけになっていたのです。ペリニョンはこの泡をなんとか取り除こうと試むも失敗しましたが、幸運にもこの新しいワインが英・仏、両国の王室の貴族たちに大ヒットとなったのです。
高級シャンパン銘柄のドンペリことドン・ペリニヨンはもちろん彼の名前にちなんだものです

5. 付箋紙(ポスト・イット)
このささやかな付箋紙は、二流の化学とイライラした教会信者が偶然に結びついて生まれたものです。1970年、スペンサー・シルバー氏はアメリカの大手化学メーカー3M社の研究者でした。彼はそこで強力な接着剤を作り出そうとしていました。しかしながら出来たものは非常に弱い接着剤で、何につけても簡単に剥がれたのです。このときに3M社内でシルバー氏はこの発明品の売り込もうとしましたが、誰も気に留めたものはいなかったのです。
4年経って、3M社の同僚で教会の合唱団にいたアーサー・フライ氏が、賛美歌の各ページにはさんでおいた紙が開いたときにすぐに落ちてしまうのでイライラしていました。ある教会の集会で、彼はスペンサー氏の発明品を思い出し、そこでひらめいて利用してみると思いのほか完璧な出来でした。そのアイデアを3Mに売り、1977年に市場にトライアルとして売り出されました。その後の普及は言うまでもありませんね。

6. ポテトチップス
1853年、ニューヨークのサラトガ・スプリングスにあるレストランに口うるさい客がいました。鉄道王として知られていたコーネリアス・ヴァンダービルトです。彼は何度も食事に付いてくるフライドポテトが分厚すぎてべっとりしていると不満を漏らし、食べるのを拒否していました。数度に渡ってつき返し続けた結果、シェフだったジョージ・クラム氏は超薄型のポテトを揚げて出しました。
バンダービルトは当初それが薄すぎてフォークで刺せないと抗議したものの、食べてみて気に入り、その後レストランでヒットし人気メニューとなりました。これが「サラトガ・チップス」としてメニューになり、世界中に広がっていったのです。

7. スリンキー(レインボースプリング/トムボーイ)
階段をしゃらしゃらと音を立てながらひとりでに降りていくオモチャと言えば、このスリンキーですが、元々はバネが偶然机から転がり落ちただけだったのです。もっと正確に述べると、1940年、海軍エンジニアのリチャード・ジェームスは、バネが落ちると止まるまでつまずいて転がるように床を進んでいくことに気づきました。いくつかの試作品を経て1948年に玩具として売り出されました。大人気となり現在でもおもちゃの象徴となっています。
ジェームスの妻、ベティが「スリンキー」という名前を考え付き、1960年以来、会社の最高経営責任者になっています。世界中で2億5000万個以上のスリンキーが売られ、ベトナム戦争のときには携帯ラジオのアンテナとしても利用されました。

8. ペースメーカー
ペニシリンのように今日では命を救うものとなっている偶発的な発明です。
アメリカのエンジニア、ウィルソン・グレートバッチは、不正動脈を記録する装置を作ろうとしていました。自分の発明品に間違った抵抗器を挿入してしまったとき、回路が脈打ち、その後静止しました。そしてまた脈打ちました。グレートバッチはこの反応を人間の鼓動と比べ、移植できる最初の心臓ペースメーカーを作ろうとしたのです。
実際に人に移植できるタイプのものが1960年以降に利用される前に、外部装置としてのモデルは1952年、ポール・ゾールによって発明されていました。しかしそれはテレビサイズくらいの大きさがあり、時折患者に電気ショックを与えて火傷させる原因となっていたのです。グレートバッチはさらにそのペースメーカーを動作させるためのヨウ化リチウム電池セルの装置についても発明を続けました。

9. 瞬間接着剤
別の接着剤の話です。シルバー氏の付箋紙と違い、こちらは強力な接着剤です。これが生まれたのは1942年ですが、ハリー・クーヴァー医師が銃の照準器に使用する高性能レンズを作ろうしていました。素材となる透明度の高いプラスチックの分離を試みていました。シアノアクリレートという化学物質を扱う際、その物質は水分に触れるとほとんどすべての物質に接着してしまうという特性を持っていました。 照準器にはとても使用できるものではなく、そのまま研究は続いていきました。
6年後、クーヴァー医師はテネシーの化学工場で、このシアノアクリレートの耐熱度をテストし、この強力接着剤の持つ、熱も圧力をかける必要もないという性質に可能性を見出したのです。そうして出来たのが瞬間強力接着剤です。その後、ベトナムの負傷者を治療するときにも利用されました、負傷した傷口に噴霧することで出血を止められるので、兵士たちの移送をたやすくしたのです。
人を殺傷する銃のパーツを作るつもりが、いくつもの命を救うことになる発明になったことは、皮肉と言えるでしょう。

10. LSD
思いもよらぬLSDリゼルグ(リゼルギン)酸ジエチルアミドの発見は文化の革命となりました。
1938年にスイスの化学者アルバート・ホフマンによって発見されたこの幻覚剤が、60年代に起こったヒッピー文化の形成に大きく関与したことは誰も否定できません。世界中の興味心を一度に煽り、神経科学の研究と治療に多大な影響を与えました。
実際のLSDの発見は、ホフマン氏が出産時の痛みを和らげる薬剤の研究をスイスのバーゼルで行っているときでした。ホフマン氏はまだ試験の済んでいない物質を記録していて、最初の解析で特に興味深い結果がなかったので保管しておきました。その化合物が発見されたのは1943年4月の金曜の午後でした。手袋をはめないでその化学物質を扱ったために、かなりの量を吸収してしまいました。自転車に乗った帰り道、彼は異常な造形や強烈な万華鏡の色をともなった、すばらしい映像が途切れることのなく流れ込んできたと述べています。化学合成したものが後のLSDとなりました。
1966年にはアメリカ合衆国全土で不法とされ、以来LSDの研究はLSDそのものが違法ということから非常に困難になり現在にいたります。。初期の研究者だったリチャード・アルバート博士は、1961年までに200人に対してLSDテストを行い、そのうちの85%の人々が人生で最も有意義な教育機会だったと伝えています。

そのほかに、人工甘味料、セロハンテープ、テフロン、バンドエイド、フリスビー、サンドイッチ、アイスキャンデー、スライム、放射線、加硫ゴム、マジックテープなども偶然から生まれた発明品だそうです。
世界に影響を与えるほどの偶然や、失敗が後に利用できるものに生まれ変わるなど、何が素晴らしい発明につながるかわかりませんね。

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